災い転じて美女となす

輝かしい夏もいつかは終わる。何人ものスターたちが、卒業すると魔法がとけていく。ただの若い社会人になり、私の身近な人間になる。あの頃、私はそれがたとえようもなくせつない哀しいことに思えた。
美女入門プレイバック 災い転じて美女となす (マガジンハウス文庫)

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林真理子さんのエッセイ。

この一文がものすごく共感できなくて逆に気になった。小、中、高とクラスメイト達をスターと認識するほどちゃんと見てなかったし、単純に友達がいなかったのだ。根暗な自分と明るい教室が対照的だったのをすんごい覚えてますよ。(なんだよウザってえな、とか思われても構わないから話かければ良かったのかな?)

思春期というのは、みんな家庭がある、家族がいる、というだけで憂うつだった。

ならばまだ思春期なのかもしれない。いちいち干渉されるのが鬱陶しくてもう。

みんなというのは、どのみんななんだろう。同級生の人と遊ぶのが楽しくてそれを邪魔する親とかが嫌になったり、そういうことなのかな。親を煩わしく思う人なんて大人だって沢山いるよね?結婚からの親と同居で口論になるとかこれの延長線にあるんでねえの?

他の、と書きたいがテレビか本でしか他の家族について知ることができない。みんな親とどんな話するんだろう。

「あなたね、青春は一回きりしかないのよ。いま頑張らなくていつ頑張るのよっ」と注意しようとして、言葉を呑み込んだ。彼女はまさしく高校時代の私である。痩せるという内面の葛藤を、人にあれこれ言われるのはどんなにイヤなことか私は知っている。劣等感にプライドがこびりついている。それが肥満ということなのだもの。若さは実はいろんなことを邪魔しているのだ。

その人が若いというだけで、希望がある、明るい将来がある、というのは偏見です。劣等感にプライドがこびりつくって表現は的確だ。だけど年齢とともにはがれおちるもんでもないな、とも思った。

高校時代の自分に声をかけるとしたら、…進学をやめろ、かなあ。

まあこっちパターンをはずれと決めるのはまだ早い、いや、そんな判断しなくていいのか。今の自分を好きになることが出来ればきっと。

…この頃から私は、自然に、「女子大生募集」という類のものに、自分は応募してはいけないということを知りつつあった。女子大生と銘打つからには、水準以上の容姿や華やかさを求めているのだ。

いつからだったが覚えていないが、自分も行間を読むようになった。んでどこにも行かない、という現在に至ってしまった。人が当たり前だと想像するそれとだいぶ自分が違うようだと自覚したからだ。