友がみな我よりえらく見える日は

「その髪型サザエさんですよって職場の若い子に言われた。その前は前髪が長くて上に立ってたんで、彼岸花っていわれてた。どうせ見せる人がいないんだから、サザエさんでも彼岸花でもいいんです」 

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

 

 

容姿に自信がなく、46歳まで男性と交際したことがない女性。などの方々のドキュメント。

“友がみなわれよりえらく見ゆる日を花を買ひ来て妻としたしむ”と石川啄木は詠んだ(らしい)。分かんないけど劣等感にさいなまれて落ち込んだら花を買って奥さんと親しんどけ、みたいな感じかな。

じゃあ一人の人間はどうしたらいいのかね。むしろ、配偶者がいない人間の方がそういうの多いでしょうに。

そもそも悲しんでいる時に、誰か傍に居て欲しいと想うものなのだろうか。気が紛れるのか、気持ちが落ち着くのか分からないが。一度でも…一度でも人のぬくもりに触れた(?)人はいてほしいだろう。寄り添う人がいない時間が長いとさらに美化されてしまうかもしれない。でもそれがない人はなぜそれを望むの?どうして欲しいのかな?って考えると、やっぱり想像でしかないんだよね。小説、ドラマ、漫画、映画etc.“恋愛”とかを題材にしたものは数え切れない。煽られて煽られてある日ふとそれを自分の人生で実現するのは無理なんだと、空しい気持ちにさせられるのであれば…馬鹿馬鹿しい。

私よりひどい生活をしている人はいっぱいいる。私より孤独な人もたくさんいる。私より大きな不安を抱えている人もいる。そういう人たちと較べたら私はずっとまし 

こんな状況でも誰かと比べるのか、と一瞬思って、頭の中ではこれに比べればましだな、と優越感に浸っている自分がいた。

結局そうなんだ、他人を見下したいんだと思う。普段の生活では、何したって人より劣っていて自分は無能な奴なんだ、と劣等感の塊みたいな人間がこの本読んで、良かったこんな風にならないで。と優越感に浸るためにこういう本を描いたんでしょう。

〝友がみな我よりえらく見える日は〟(この本読んで自分より劣る人間がいることを知って喜びなさい)

って解釈できた。